日本の飲食業の変遷

日本の飲食業の変遷

第2次世界大戦が終了してから少しずつ飲食店が増えて来ましたが、戦後の暫くの期間は戦後復興のために働く男性のためのものが中心で、駅周辺の屋台店や小料理屋で供されるオデン、焼き鳥、ホルモンなどの庶民の味が中心でした。

 

戦後の復興が重畳に進んで来て高度成長期に入りますと、仕事に成功してリッチになる方も増えてきましたし、諸外国からのビジネスマンが日本に商談に来るようにもなりました。

 

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経済活動が活発になりますと金持ち層を狙った高級料理店やフレンチ・レストランなども出来てきました。

 

東京オリンピックが行われた昭和39年には東京や大阪、京都などの主要都市に国策で外人客の受け入れにと大型都市型ホテルが出来ましたが、ホテル内には諸外国にも負けない豪華なフレンチや和食レストランが出来ました。

 

しかし、この時期までの日本の飲食店経営は基本的に個人又は個人オーナーの会社が経営する飲食店が中心でした。

 

阿具楽-あぐら- 新潟駅前店

 

昭和45年の大阪での万国博覧会に欧米の外食産業がモデル店を出品したことで日本の飲食業界に新しい経営方法がもたらせました。

 

この事が契機になって日本の飲食業界に大手資本も参入するようになってアメリカ式のシステム導入が積極的に行われるようになりました。

 

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今までは一部のお金持ちだけのものであった飲食店を一般の庶民にも食べられるようにする目的を持った企業が現れてフレンチやイタリアンなどに加えて和食のメニューも安い料金で食べられるようにして来ました。

 

これが現在の外食産業の始まりですがアメリカ式のシステムに日本の土壌になった改良を加えてきました。

 

セントラルキッチンや大量仕入れによっての徹底したコスト削減に成功して低料金で美味しい料理と丁寧なサービスが提供できるようになったのです。