外食産業の夜明け

外食産業の夜明け

外食産業という言葉は昭和45年の大阪での万国博覧会に海外の産業としての飲食店の出店があった頃から使われるようになりました。

 

それまでの日本の飲食店は第二次世界大戦が終焉を迎えて戦後の復興が進みだすと共に街場のアチコチに小さな飲食店が復活したものが中心でした。

 

 

 

いわば個人商店が大部分でしたので戦後に職を失った方が台でオデン屋や焼き鳥や等を初めたり、戦争でご主人を失った母子家庭の女性が小さな小料理店を開業したりしたものが多かったのです。

 

その後、戦後の復興が進みますと昭和39年の東京オリンピックの頃には東京などの大都市には数多くの和食店やレストランが誕生するようになりました。

 

 

 

しかし、飲食店は当時の産業としては確立されて無くてあくまで個人事業か株式会社で有っても個人オーナーの事業でしたので、産業として本格的な地位が確立されておりませんでした。

 

しかも、当時の飲食店は主として男性客が中心で仕事帰りに行っては酒を飲んでストレスを解消する男性社会のものでした。

 

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当時には既に高級なフレンチレストランや高級天ぷら、寿司屋などもありましたし、特強オリンピックに向けて国策で次々と開業した大手ホテルには立派なコンチネンタル・レストランやフランス料理店、日本料理店が出来てきました。

 

しかし、それらのレストランは高級なものでしたのでごく一部の資産家が利用できるにとどまっていましたので、全国民が低料金で家族でも楽しめる国民食としての産業にはなっておりませんでした。